稲荷山の伝説
更新日:2019年12月17日
現在の粕屋町花ヶ浦区から若宮区には長者原合戦(1362年)の際に懐良親王(かねよししんのう)が布陣され、この一帯の丘陵は「御所陣」(ごしょじん)などと呼ばれています。
また、別名「稲荷山」とも言われ、この稲荷山には次のような伝説が残されています。
戦いに敗れた一人の武士が落人となり、人気の少ないこの山里に隠れ住みました。
隠れ人として暮らしていたある夕暮れ、一匹の大きな白狐が迷い込んできました。
何気なく「シッ」と追ってみると、腰や足に傷を負い、逃げることもできずに人なつっこく何か言いたげな様子でした。
そこで主人は、かわいそうに思い、食べ物を与えました。
この狐は、傷のためにここ数日空腹の様子。
喜んで食べ終わると、足をひきずりながら山の方へ帰って行きました。
こうして一週間繰り返しているうちに、傷も癒えましたが、今度は帰らなくなりました。
家の床下に寝泊りし、小さな娘さんと遊び、同家の家族として可愛がられ、たきぎとりや野良仕事にもついて来るため、村の人々にも知られ、ほめられるようになりました。
そのうち、夫婦も年をとり、子どもも立派になりました。
この大きな白狐は、ある日、急に病気にかかり、何も食べなくなりました。
老夫婦は、夜も寝ずの看病を続けましたが、三日目の晩に死んでしまいました。
老夫婦は、我が子をなくしたように悲しみ、自分の庭に丁重にまつり、供養しました。
ある晩のこと、この白狐が夢枕に立ち「自分は白狐ではなく、お稲荷様の使いとして、この世に生まれ、色々修行を積み、良い人を捜し求めているうちに、あなたに出会い、人にも及ばぬ介抱を受けました。ご恩は死んでも忘れません。今は、正一位稲荷大明神の位をいただいております。ありがとうございました。」と告げました。
目が覚めてみると二人とも同じお告げを受けていたのです。
老夫婦は、早速ほこらを建て、その話を村人にも話しました。
以後、このほこらにお参りする人々が後をたたなくなり、現在も多くの人たちが訪れています。
そして、このほこらが現在の「吉国神社」(よしくにじんじゃ)と伝えられています。
- 【近隣の史跡】仲原炭鉱竪坑跡 等
- 【最寄駅】JR長者原駅より約0.7キロメートル[徒歩約10分]
- 【バス停】西鉄粕屋町役場前バス停より約0.6キロメートル[徒歩約10分]
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